春日神社 風景
師岡町1丁目内ではありませんが!
大祭資料より(平成14年度発行)

春日神社の歴史

春目押杜は、元「春日大明神」といい、旧暦の9月19(ナカノクンチ)に例祭を行っていた。
明治の代になり、「春日神社」と名称を改め、旧暦の九月一九日に近い九日、すなわち10月9日を持って例祭日としていたが、昭和四十年より体育の日(新しくできた祭日)に当たる10月10日を例祭日として現在に至るも、法改正によって体育の日が変更になったため、体育の日の前日の日曜日に例祭日を変更した。
春日神社は、下師岡村、吹上村、野上村、大門村の四ヶ村の鎮守であり、現在は13自治会(約3500世)を氏子とし、多くの人々に篤く尊崇されている。
現在は、師岡町、東青梅五丁目、バームハイツ河辺、野上町、大門、吹上の各自治会より、22名の神社総代が選出され、神社運営の一端を担っている。
御祭神は、武窺槌命(たけみかづちのみこと)、経津主命(ふつぬしのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、姫大神(ひめおおかみ)の四神である。
春日神社の歴史については、神照寺(真言宗塩船寺の末寺で、春日神社の別当寺)が消失(200年程前という言い伝え)し、詳細は不明なるものの、昭和58年早稲田大学の渡邊主任教授の調査の結果、本社内より天文7年(1538年)聖伝覚と言う人が奉納したという銅板が発見されたことより、室町時代末期にはすでに人々の信仰を集めていたことが伺える。
現在でも、宮の前、神戸(こうど)・鳥居所(とりい)等の地名が存することより、往古は野上郷の総社として大杜であったことが伺える。
江戸時代になると、徳川幕府より、杜領二石の朱印状を拝領する(三代将軍徳川家光の朱印状を始めとして現在9通が現存)
慶安元年(1648年)、下師岡村名主吉野太郎右衛門、吹上村名主塩野喜右衛門の発願により、大工吉澤藤兵衛が社殿を再建する。さらに、寛延、文化(1806)年間に修築がなされ現在に至っている。
御本殿は、一間仕流造(いっけんしゃながれづくり)、瓦棒銅板葺(かわらぼうどうほんぶ)という建築様式で、江戸時代初期の神社建築としては、比較的規模も大きく、昭和62年東京都の有形文化財に指定された。
明治3年官の命で神照寺を廃し、神官を置き神社運営を行い現在に至っている。
さらに昭和29年東京都より宗教法人の認可を受け、神社本庁の包括団体として活動している。
社宝として、翁の面、獅子頭三頭、太鼓三箇、朱印状を伝え、本殿、拝殿、手水舎、宝蔵庫、社務所、鳥居よりなり、境内は1696坪ある。境内末社として稲荷神社、八雲神社、白山神社、厳島神社の四杜を有する。
また、社有地の一部を春日グランド、野上児童遊園として一般にも解放するとともに、野上第一自治会館用地としても貸与しており、多くの人々に利用されている。

獅子舞の紹介

◆歴史
市内に獅子舞を伝承している神社が数社有るが、旧露地区では春日神社だけである。現在青梅市の無形民俗文化財に指定され、「春日神社獅子舞保存会」が保存伝承している。
獅子舞のいわれについては、前述のように神照寺が消失したため、詳しい記録は残っていないが、平成7年1月、青梅市文化財保護指導員と郷土資料室が調査に訪れ、社宝として保存されている獅子頭を入れていたと思われる「宝暦二年(1752年)奉造補獅子頭三併諸道具---」と墨書された木製の箱が発見された。このことより、約250年前には、既に獅子舞が伝承されていたことが伺える。

◆解説

春目押杜の獅子舞には『矢庭』『後庭』の二つの舞があり、どちらも三匹の獅子によって神前で舞われ、神様に舞を奉納するという形が取られている。所要時間は、二庭ともそれぞれ90分前後であるが、休むこと無く舞い続けるのがこの獅子舞の特徴である。
矢庭は比較的ゆっくりとした舞いで、後半に三匹が揃って四方の花(ささら)を廻る「花見」の舞いがある。
後庭は、テンポが速く荒々しい舞いで矢庭の花見に代わり「ばち見せ」、「弓掛り」と呼ばれる舞いがある。
矢庭・後座共に、一匹の雌獅子を雄獅子、太夫獅子の二匹が取り合い、争うというもので、内側に寄せられた花の中に、雄獅子と雌獅子が伸良く隠れると、外を廻っていた太夫獅子が、地面に鼻をこすりつけるように匂いを嗅ぎ、隠れた二匹を探し始める。やがて二匹を見つけると、雄獅子を脅して追い出し、自分が雌獅子と一緒に中へ隠れる。
追い出された雄獅子が、今度は反対に花の周囲を探し始める。
最も時間の長いこの場面で、体を低くして探し廻る仕種や、見つからないように隠れて舞う仕種をどれだけ表現できるかが見所の一つといえよう。

◆部分の名称

矢庭、後庭に多少の違いがあるが、次の順に獅子舞が行われる。
矢庭【揃・入派・狂込・散・関士・散・花寄せ・関士・花見・散・関士・揃】
後庭【揃・狂込・四ツ返・チャンギリハ・散・関士・散・花寄せ・バチ見せ・関士・弓掛り・散・関士・揃】
《読み》揃・・・・そろい
    入派・・・いりは
      散・・・・ちらし
      狂込・・・くるいこみ
      関士・・・せきどまり
      弓掛り・・ゆみがかり
      関士・・・せきどまり
      弓掛り・・ゆみがかり

◆舞の順序
 ◎揃、狂人、入場、散、散(三面)にて関止まり
 ※歌:廻りは車、水車、遅く廻りて関止まり。
     この杜守は飛騨の工にくみあげて飛騨の工の
     細工なり、あまり高さに建ちすぎて落ちる木
     の葉がのきにとまらん。
 ◎花寄せ
 ※歌:思いも寄らぬに、朝露が降りて雌獅子、雄獅
     子がかくされた。

 ◎二度目の関止まり
 ※歌:人はともあれ、かくもあれ、雄獅子、雌獅子
     がかたならべ。
     奥山の松にからまる、ツタに葉も緑がつきれ
     ぱ、ほろり、こぽれる。
     この獅子は伊勢の生まれで伊勢に育ち、腰に
     はらいをさし給う

 ◎花見
  西北の月より見初め、南東の牡丹、南西の牡
   丹、東北の太陽を見る。
 
 ◎三度胃の関止り
 ※歌:道の根ざしに露が明けて、おいとま申して関止り。
     月も目も西へ西へと、おい人やるを、おいとま申
    して帰れ、ともだち。

     この庭はたてへ十五里、横へ七里、
     見て出場にまような。
     入場よく見て出場にまような。

獅子舞の役者

先導者(幣負い)人、獅子(先庭・後庭各3人)棒遣4人、ささら4人、警護4人、笛10人程度。
現在、先導者は獅子舞の古参師匠で各地区の師匠が持ち回りでつとめている。
獅子は青年男子、
棒遣は
中学生の男子、
ささらは小学高学年男子、
警護は成人
男性をめどに各自治会より1選出されている。
(獅子は、野上と師岡が二名ずつ、あとは各地区よりそれぞれ一名を選出している。)

※男子が女装をしてささらを担当する例は珍しく、市内の獅子舞では当春日神社だけである、(奥多摩町大丹波の青木神社の獅子舞も男子がささらを行う)

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