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青梅市役所の3階会議室の南側壁面に”青梅市史略年表”があります
どなたが書いたものかも不明です(調査してないだけ)
年表でもあり、著作権も問題ないだろうと考え、3階に埋もれたままではもったいないので ここに採録しました。なお、なるべく忠実に転記したつもりですが、文字
フォントが無い為に、現代語にしたところがあります。

 PDFファイルも用意してあります。

注)年表でもあり、当ページは、白地の無味乾燥な表現にしてあります。(笑)


青梅市史略年表

BC87年  崇神10年 御岳山に御岳神社 創建さる
649年   大化年中  塩船観音 岩狭の八百比丘尼により創草さる
736年   天平8年  御岳山に僧行基 蔵王権現を勘請す
748年   天平年中  塩船観音を僧行基 中興す
809年   大同年中  勝沼小曽木の石動神社 創建さる
822年   弘仁13年 今寺 報恩寺創草さる 開山 亭海(亭の字か違う)

876年   貞観年中  塩船観音の杉本坊等 十二坊開かる
884年   元慶年中  柚木 即清寺 創草さる 開山 元喩和尚
937年   承平年中  天ヶ瀬 金剛寺 創草さる 開山 平将門
937年     同上  下長渕 鹿島玉川神社 創建さる
1041年  長久2年  下村 八幡宮 創建さる
1180年  治承年中  勝沼城 三田氏 鎌倉将軍の隷属す
1191年  建久2年  源頼朝 御岳神社を修復し寺領1750石を寄す
1197年  建久8年  御岳山 世尊寺 開山 源教寂す
1197年  建久年中  上成木 高水山不動尊 創草さる 開基 畠山重忠
1252年  建長4年  御岳神社に北條氏 写経を寄進す
1263年  弘長3年  塩船 塩船寺 開山 良深寂す
1281年  弘安4年  蒙古退散祈願のため後字多天皇 御岳に大鎧を寄進す
1285年  弘安7年  塩船観音堂の青石塔婆建立
1296年  永仁4年  塩船観音に青石大塔婆建立さる
1300年  正安2年  勝沼 乗願寺 創草さる 開基 三田下總守長綱
1302年  乾元3年  相州称名寺の僧佑範 如意輪観音画像を金剛寺に寄進す
1307年  徳治2年  御岳山 無限誓の鐘成る
1321年  元享1年  下長渕 玉泉寺 開山 建長七世國一禅師寂す
1322年  元享2年  今寺 報恩寺 鐘成る 大日那三田清綱
1334年  建武1年  足利尊氏 御岳神社に杜領を寄進す
1339年  建武5年  御岳神社に鰐口奉進あり
1339年  建武5年  今井 薬王寺 創建さる 開基 足利尊氏
1354年  文和3年  友田 花蔵院に鰐口寄進さる
1359年  延文4年  関東管領 足利基氏 御岳神社を修復す
1369年  応安2年   住江町 延命寺 創建 住吉神社守護神として祀らる
1417年  応永24年 足利基氏 御岳神社 社殿を造営 社領を寄す
1441年  嘉吉1年  青梅に市場 開市さる
1463年  寛正4年  三田憲清 友田 蔵王権現に鰐口を寄進す
1487年  長享1年  二俣尾 海禅寺 開山 一州正伊寂す
1506年  永正3年  根ヶ布 天寧寺 開山 一華文英和尚 神岳通竜禅師の称号
             を賜る
1509年  永正6年  天寧寺 開山 神岳通竜寂す
1509年  永正6年  連歌師 柴屋宗長 勝沼城に遊ぶ
1511年  永正8年  三田氏宗 政定 御岳神社を造営する
1512年  永正9年  三田政定 今寺 報恩寺 延命地蔵を奉造す
1513年  永正10年 三田氏の協力により青梅村民 住吉神社を修造し鎮守とす 
                         時に4月28日

1517年  永正14年 塩船観音堂 大修理行わる
1521年  大永1年  三田政定 天寧寺へ銅鐘を寄進す
1522年  大永2年  金剛寺の如意輪観音画像修理さる
1531年  享禄4年  金剛寺 本尊 白不動尊画像修理さる
1533年  天文2年  三田政定 塩船観音堂と仁王門を修理
1562年  永禄5年  小田原北條氏 金剛寺に寺領安堵の状を寄す
1563年  永禄6年  勝沼城 二俣尾西城とともに北條氏照のため落城す

1575年  天正3年  二俣尾 海禅寺 勅願寺 となる
1581年  天正9年  徳川家康 御岳神社に朱印30石を寄す
1584年  天正12年 藤橋城主 平山越前守重吉 死去す
1585年  天正13年 海禅寺 東岳和尚に関州徳光禅師の称号を授与さる
1588年  天正16年 小田原北條氏より上成木 安楽時 下長渕 玉泉寺の銅鐘
              借用状寄せらる

1590年  天正18年 八王子城潰滅とともに勝沼城、藤橋城、落城す
1590年  天正18年 天寧寺、勝沼 乗願寺 兵火のため炎上
1590年  天正18年 徳川家康 森下に陣屋を置く 代官 大久保長安
1600年  慶長5年  新町 三島部落全焼
1606年  慶長11年 徳川家康 御岳神社を造営す 奉行 大久保長安

1606年  慶長11年 成木の石灰 江戸城築城資材として出荷さる
1608年  慶長13年 成木の石灰 大阪城修築のため搬出
1610年  慶長15年 成木の石灰 名古屋城修築のため出荷さる
1611年  慶長16年 吉野織部之助正清 新町開拓の工を起こす
1613年  慶長18年 青梅 住吉神社 雷火のため炎上
1614年  慶長19年 吉野織部之助 新町に鈴法寺を開基す
1616年  元和2年  吉野織部之助 新町開拓の工を終る
1616年  元和2年  新町 鈴法寺 開山 月養風寂す
1617年  元和3年  住吉神社 修造さる 大工 和泉小左ヱ門
1622年  元和8年  根ヶ布 天寧寺 炎上
1624年  寛永1年  成木の石灰 京二條城 修築のため出荷さる
1629年  寛永6年  三田氏の遺臣 野口刑部秀房 歿す
1639年  寛永16年 新町開拓の祖 吉野織部之助 歿す
1641年  寛永18年 塩船観音堂の鐘成る 大工 五ノ神 櫻沢市兵衛
1657年  明暦3年  玉川神社の江戸上水の神事行わる
1658年  明暦4年  日向和田館の田辺清右ヱ門雅良 歿す
1668年  寛文8年  検地行わる
1680年  延宝8年  森下陣屋 高麗 加治 毛呂領を合わせ高2500石を知行
             す
1695年  元禄8年  塩船観音堂 修理行わる
1700年  元禄13年 徳川綱吉 御岳神社を修造す
1703年  元禄16年 根ヶ布 天寧寺 炎上
1716年  正徳6年  青梅 住吉神社 拝殿造営さる 大工 貝塚左ヱ門
1718年  享保3年  御岳神社 大鎧 将軍上覧のため江戸城へ持参 同時に修理             行わる
1719年  享保4年  伊奈忠達 新田族地査縄す
1739年  元文4年  青梅の裏宿七衛 捕はれ処刑さる
1744年  延享5年  森下陣屋 廃さる 伊奈半左ヱ門忠達の代

1753年  宝暦3年  住吉神社本殿 修復さる
1759年  宝暦9年  住江町 火事 住吉神社拝殿 炎上
1790年  寛政2年  青梅の学者 五柳中原章 歿す
1794年  寛政6年  今井 薬王寺の鐘成る 鋳物師 青梅裏宿 島村氏
1794年  寛政6年  青梅の俳人 根岸涼字 歿す
1797年  寛政9年  青梅本町 琴平神社 創建さる
1798年  寛政10年 青梅の根岸典則 ?谷詩集四巻を刊行す
1801年  享和1年  青梅の書家 小峰峯眞 歿す
1802年  享和2年  西分 宗徳寺 炎上 西分の大半類焼
1807年  文化4年  青梅の学者 根岸典則 函館に渡る
1810年  文化7年  御岳神社 一の石 華表建つ
1811年  文化8年  常保寺の俳僧 九瓜坊支兀 歿す
1813年  文化10年 青梅縞の買仲間議定書成る
1824年  文政7年  住吉神社拝殿 再建さる
1827年  文政10年 新町 鈴法寺 竹渓嘯虎禅師寂す
1829年  文政12年 青梅と新町間に市場の爭い起る
1831年  天保2年  青梅の学者 根岸典則 歿す
1834年  天保5年  北小曽木の学者 野崎義也 歿す
1834年  天保5年  谷野 眞淨寺 歌僧 淨月律師 歿す 75歳
1838年  天保9年  青梅と新町間に市場の爭い解決す
1841年  天保12年 青梅 金剛寺 炎上
1841年  天保12年 青梅の狂歌師 小林綾繁 歿す
1843年  天保14年 根岸典則の「扶養蒙求」刊行さる

1844年  弘化1年  青梅の学者 榎本栄蔵光度 歿す
1855年  安政2年  青梅の学者 山田早苗 歿す
1857年  安政4年  青梅上町、仲町 大火
1860年  安政7年  青梅 梅岩寺の俳僧 性海守風 歿す
1861年  文久1年  青梅 金剛寺 再建さる
1863年  文久3年  青梅の画家 小林天淵 歿す 86歳
1865年  元治2年  新町の俳人 吉野豆人 歿す
1866年  慶應2年  名栗暴動打ちこわし青梅へ入り騒ぐ
1868年  慶應4年  我が家が焼失 再築(土台等々は当時のままです)
1868年  明治1年  青梅 韮山県となり江川太郎左ヱ門英武 所管す
1870年  明治3年  青梅の狂歌師 井上綾綱 歿す
1871年  明治4年  長渕に神習学舎 開校さる
1872年  明治5年  青梅 神奈川県に編入さる
1872年  明治5年  青梅郵便局 開設さる
1873年  明治6年  青梅警察分署 金剛寺に設置さる
1873年  明治6年  青梅学校 梅岩寺境内に新設開校
1875年  明治8年  官の許可あり正式に青梅町と称す
1876年  明治9年  青梅分署 森下に屯所を新設移転す
1877年  明治10年 御岳神社本殿 落成
1877年  明治10年 柚木に日本最初の養鱒池 開設さる
1878年  明治11年 青梅 郡制施行により西多摩郡の属す
1880年  明治13年 青梅郵便局 為替開設
1882年  明治15年 青梅銀行 仲町の創立さる 資本金50万円
1884年  明治17年 各町村それぞれ戸長役場を設置す
1886年  明治19年 青梅分署 西多摩郡警察署と改称
1889年  明治22年 町村制 制定それぞれ町村役場を設置す
1889年  明治22年 甲部鉄道 新宿、立川、八王子間 開通
1889年  明治22年 青梅商業銀行創立 資本金30万円
1890年  明治23年 青梅第一小学校 現地に新築移転す
1893年  明治26年 神奈川県より東京府に編入さる
1894年  明治27年 青梅鉄道 立川、青梅間 開通
1895年  明治28年 西分の学者 浜中良亮 歿す
1895年  明治28年 勝沼の史家 斉藤眞指 「東京府西多摩郡地誌」を編す
1895年  明治28年 青梅鉄道 日向和田まで延長開通
1896年  明治29年 多摩銀行 創立さる 資本金50万円
1896年  明治29年 万年橋 木橋架設 開通
1897年  明治30年 青梅鉄道 日向和田駅 客車取扱い開始
1898年  明治31年 青梅の俳人 横川好々 歿す
1901年  明治34年 中武馬車鉄道設立 入間川、青梅森下間 開通
1904年  明治37年 青梅の史家 斉藤眞指 歿す 83歳
1905年  明治38年 青梅織物同業組合設置 組長 井上倉吉
1906年  明治39年 青梅大横丁 開通
1907年  明治40年 青梅 万年橋 鉄橋に改修さる
1907年  明治40年 二俣尾の谷合直太朗氏 初めて力織機を使用する
1910年  明治43年 青梅消防署 結成さる
1910年  明治43年 勝沼に東京府立農林学校 開校
1911年  明治44年 ガス電燈会社 青梅支社 開業 初めて電気がともされ
             (電燈のこと)電話も開通

1913年  大正2年  天皇、皇太子の折 学習院生徒と来青
1913年  大正2年  裏宿に東京市立水源林事務所が開庁
1913年  大正2年  下長渕 王泉寺 炎上
1914年  大正3年  日向和田トンネル開通 日向和田駅 開業
1919年  大正8年  青梅鉄道 日向和田、二俣尾間が開通
1921年  大正10年 調布橋開通 工費9万8千円
1922年  大正11年 青梅の沢田金太郎選手 全日本陸上競技会ので1500米に
                     優勝 
1923年  大正12年 青梅外六ヵ村立実科女学校 開設

1923年  大正12年 青梅鉄道全線電化さる
1925年  大正14年 青梅外六ヵ村立女学校 東京府へ移管
1927年  昭和2年  青梅幼稚園 創立さる

1928年  昭和3年  青梅町上水道完成
1938年  昭和13年 西多摩保健所 青梅職業紹介所 創立
1943年  昭和18年 青梅町役場庁舎落成
1948年  昭和23年 新制中学校創立 各中学完成
1948年  昭和23年 青梅警察署発足
1948年  昭和23年 三町村組合立消防署 発足
1948年  昭和23年 青梅神明平の植樹祭に天皇、皇后両陛下臨御さる
1950年  昭和25年 青梅町公民館開館
1951年  昭和26年 青梅町 調布村、霞村 合併して青梅市制を施工 4月1日

以上は何の方針もなくただ漫然と年代を追って史実口碑博説等一切を撰ぶことなく採録したまでのきわめて  杜撰不完全のものではあるが郷土青梅の歴史の一端でも知っていただけるなら幸いである。


以下は、BBSで質問した内容と皆さんの回答です。
回答いただいた方には感謝!


S18年に出来た青梅町役場庁舎ってどこにあったのですか
  たぶん、市役所の前進のものだと思うのですが
2)T12年に出来た青梅外六ヵ村立実科女学校ってどこにあったのですか?
  碑とかありますか?
3)S23年に青梅神明平で植樹祭があって天皇、皇后が来られたのですが
  青梅神明平ってどこ? お手植えの木ってあるの?
4)S2年にできた青梅幼稚園ってどこ? 今の新町?の青梅幼稚園とは違う
  と思うのですが

以上よろしくお願いします

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明治8年に「青梅村」から「青梅町」に。明治22年に1町39ケ村あったものが、1町6ケ村になりました。
昭和26年に「青梅町」「調布村」「霞村」が合併して「青梅市」に。
昭和30年には「青梅市」と「吉野村」「三田村」「小曽木村」「成木村」が合併して現在の「青梅市」になりました。

>1)
昭和18年に出来た?青梅町役場?当時の経済状況で建設できたのでしょうか?
多分、今の市役所の場所に移転する前、現在の「青梅商工会議所会館」の場所に庁舎がありましたが、それの事でしょう。

>2)
「西多摩他六ケ村組合立実科高等女学校」が正式名で、大正14年には東京府立に改称して東京府に寄附しています。
のちに「西多摩郡他六ケ村立実科高等女子」と改称、現在は「都立多摩高等学校」になっています。場所も同じ。


続きです。

>3)
昭和23年4月4日、天皇、皇后両陛下をお招きして、「第1回植樹祭」が「勝沼神社」北側の町有林で行なわれました。
お手植えの苗木は「桧」でした。正確な場所は「青梅市永山ふれあいセンター」(旧都立青梅青年の家)の奥になります。

>4)
昭和2年当時のことは解かりません。戦後でしたら、「都立農林高校」の西のNTTの建物の辺りにありました。
のちに新町に移転したものと思われます。

間違っていましたら訂正してください。

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4)青梅幼稚園は創立はNTTの近く、のち昭和45年あたりは
 青梅街道沿いの がってん寿司のところ。
 そして現在は新町ではなく河辺7丁目にあります。
 河辺駅と小作駅のちょうど中間あたりで
 電車から見えます。
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